実は誰でも医学翻訳者になれる!資格認定制度を阻む3つの要因

プロの医薬翻訳者になるのに必要な資格は?

医薬翻訳に興味を持つ方から「医者や看護師、薬剤師など医療従事者の資格がないと医学翻訳者になれないですか?」、「プロの医学翻訳者は、何か試験に合格しないとなれないですか?」などと質問を受けることがあります。

また、医薬翻訳を外注する機会のある企業や医師などからは「質の高い翻訳がなかなか手に入らず、翻訳者の語学力や専門知識に疑問を感じることが多いが、医学翻訳は資格制ではないのか?」などと尋ねられることがあります。

国内の通訳・翻訳業務で、資格なしに請け負うことが法律で禁止されているのは、いわゆる「通訳ガイド」だけです。(追記:2017年5月26日に改正通訳案内士法が国会で成立し、無資格でも有償で通訳ガイドを行えるようになりました。)

翻訳に関しては、どの分野でも認定試験や資格制度は存在せず、公的な免許や資格は一切必要ありません技量や経験を問わず誰でも「プロの翻訳者」を名乗って翻訳業務を請け負うことが出来ます

医薬翻訳者の翻訳レベルは実際どの程度

翻訳業界への参入は敷居が低いため、この20年間に医薬翻訳者のすそ野は急速に広がり、医学・製薬業界で「なくてはならない存在」になりました。

その反面、大多数の医薬翻訳者が経験年数に関わらず初心者レベルで、訳文の質が低いことが多いです。そのため、以下のような悪循環が長年続いています。訳文の質が低い⇒依頼者側の不満が根強い⇒医薬翻訳が「専門職」として十分に認識されない⇒翻訳の報酬が低い⇒有望な人材が集まりにくい⇒初心者レベルの翻訳者ばかり増える⇒訳文の質が低い。

科学技術文書の最大の役割は「情報を正確に伝えることであり、特に医薬翻訳では訳文の内容が人の命に関わる場合が多いため、誤訳は1つも許されません重大な誤訳や思い違いを防ぐには、高い語学力読解力だけでなく幅広く深い専門知識が必要です。また、正確でわかりやすい訳文を作るには高度な翻訳技術も必要です。

しかし、これらの能力を兼ね備えた医薬翻訳者は、依然としてほんの一握りしかいません。「専門職」として優秀な人材を育て、医薬翻訳全体のレベルアップを図るためには、通訳ガイドのように認定試験を実施し、「医学翻訳士」のような公的資格を設ける必要があるのではないでしょうか。

医薬翻訳で資格認定制度が難しい理由

業界内で統一した認定試験を実施して、合格者に資格を付与するとなると、下記のような3つの問題が生じて来ます。
1. どの団体が実施するのか
2. 誰が出題・評価するのか
3. 多様な医薬翻訳を1つの資格でカバーできるのか

問題1:どの団体が実施するのか
試験を実施するには専門の組織が必要ですが、残念ながら医薬翻訳の業界団体は存在しません。そもそも翻訳業界全体でも「日本翻訳連盟」(JTF)、「日本翻訳協会」(JTA)、「日本翻訳者協会」(JAT)など複数の団体が存在し、統一団体がありません。そのため、JTFやJTA、翻訳学校などが各々独自に検定試験(実技試験)を実施しており、業界統一試験はありません。

このような状況の中、翻訳サービス提供に関する国際規格「ISO 17100」(2015年発行)に基づき、日本規格協会に「翻訳者評価登録センター」(RCCT)が創設され、2017年4月1日から「翻訳者登録制度」がスタートしました。

RCCTは医薬分野を含む4分野の検定試験を実施するとのことですが、JTFの「ほんやく検定」を新規翻訳検定として登録したことが発表されたので、新たに試験を創設するのではなく既存の検定試験を利用するようです。今後、JTFの「ほんやく検定」が業界統一試験のような役割を果たすようになるのでしょうか。登録制度の有用性なども未知数であり、大阪と東京で開催される説明会の内容に注目が集まるところです。

問題2:誰が出題・評価するのか
真に「プロ」と呼べる優秀な医薬翻訳者が一握りしかいないため(特に英訳)、適切な試験問題を作成して、唯一絶対の「正解」が存在しない訳文の良し悪しを文脈に応じて見極め、受験者の翻訳レベルを正確に判定できる医薬翻訳者は極めて少ないと思われます。そのため、どのような団体が資格認定試験や検定試験を実施するにしても、医薬分野の試験の品質担保が難しいことは容易に想像できます。

問題3:多様な医薬翻訳を1つの資格でカバーできるのか
一口に「医薬翻訳」と言っても、扱う内容や文書の種類は多岐に渡っています。大きく分けても「論文翻訳」、「製薬に関する翻訳」、「医療機器に関する翻訳」、「その他」(診断書、特許など)という4つの異なるジャンルがあり、いずれも様々な領域に細分化されます。さらに、どのジャンルも「和訳」と「英訳」の2種類があり、「医薬翻訳」がカバーする範囲は意外と広いです。

したがって、1人の医薬翻訳者がすべてのジャンルに精通し、オールマイティにこなすことは現実的に不可能です。実際、理系出身で優秀な医薬翻訳者ほど、自分の専門に応じて得意なジャンルに特化している傾向が見られます。このような状況下で、「医薬翻訳」と一括りにして実技試験を実施したり、資格を与えたりすることに意味があるのか疑問が生じて来ます。かと言って、試験や資格を細分化するのは煩雑です。

これらを踏まえると、「医薬翻訳」と一括りにして統一試験を実施する場合には、いずれの翻訳方向についても、医薬翻訳の全ジャンルに共通する基本的な翻訳スキルしかテストできないかもしれません。

こんな統一試験なら実現可能?

基本的な翻訳スキルしか評価できなくても、業界統一の認定試験を実施する意義や価値はあると思います。例えば英訳では、基本的な英文法や医薬英文の書き方のルール(例:punctuation、略語の使い方)さえ身に付いていない医薬翻訳者が多いので、どの医薬分野の英訳にも最低限必要な知識をテストして担保するだけでも、翻訳スキルの客観的指標が欲しい翻訳依頼者にとって、そして医薬翻訳者のプロ意識・信頼性の向上や「専門職化」にとって有益かもしれません。

欧米でも、例えば米国メディカルライター協会(AMWA)のメディカルライティング認定試験(MWC)や、生命科学論文のエディティング認定試験(BELS exam)は、いずれも各分野共通の基礎知識中心に出題されており、マークシート方式で実施されています。ライティングやエディティングのスキルを調べる実技試験ではありません。

医薬分野の全ジャンルに共通する基本的な翻訳知識をテストするだけであれば、出題者や審査員を務められる翻訳者の範囲が広がり、統一試験の実施可能性や持続性が向上するという利点もあります。

したがって、医薬翻訳の統一試験としては、手始めに医薬分野の基本的な翻訳知識に関するマークシート方式の筆記試験を実施するのが良いかもしれません。その後、必要に応じてレベル別の実技試験を順次追加していけば良いのではないでしょうか。

新たに統一試験制度を創設するのが難しいようであれば、医薬分野の既存の英語検定試験(例:日本医学英語教育学会の医学英語検定試験、日本CRO協会の治験実務英語検定)を、医薬翻訳レベルの指標の1つとして活用する方法もあると思います。

まとめ

医薬翻訳者のすそ野が大幅に広がり、「医薬翻訳」という翻訳ジャンルが十分確立した現在、次の段階として、翻訳の質を担保する業界統一認定試験制度を導入・確立して、医薬翻訳の「専門職化」に進む必要があるのではないかと思います。

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