メディカルライティング・医薬翻訳と著作権

昨年のブログで、表現の「剽窃」「盗用」に注意する必要性を書きましたが、これらの不正行為は「著作権の侵害」に直結していることが多々あります。しかし、残念ながら日本のアカデミアや製薬業界、翻訳業界は欧米に比べて、著作権に関する意識も含めて「倫理意識」が低いと言われています。

著作権侵害はまれではない

弊社作成の研修資材や拙著『薬事・申請における英文メディカル・ライティング入門』シリーズから説明文や英語の例文などを、製薬企業が社内のスタイルガイドや用語集、教育資材などに無断で引用し、出典を明示していない事例が次々に発覚しています。

つい先日は、某CROが部内の研修で拙著シリーズを教材として利用するために、「全4巻をコピーして部員全員に配布したい」と言って、複製の許諾を求めて来たので驚きました。このCROは許諾を求めて来ただけまだマシですが(もちろん断りました)、弊社が製薬企業の社内研修で使用したスライドを、その企業の研修担当者らが社外の研修・講演に無断で流用して講演料を何度も得ていた悪質なケースも複数報告されています。

また、弊社の著作物からの引用の許諾に先立ち、製薬企業に引用先の文書などを確認させてもらうと、引用箇所と企業オリジナルの箇所が区別されていなくて、引用箇所がまるでオリジナルのように提示されていたり、出典が全く示されていなかったりするなど、正しい引用方法をご存知ないと思われるケースに度々遭遇します。

アカデミアも例外ではありません。医師から論文の英訳を依頼される際に提供される日本語原稿や、論文の英文校閲を依頼される際の英語原稿で、他人の論文からアイディアや文章を盗用して著作権を侵害している箇所を発見することが時々あります。

また、ある医師が翻訳会社に英訳してもらった論文を海外の学術誌に投稿したところ、出版社が剽窃チェッカーを使ったのか、「剽窃が散見される」という理由で門前払いされてしまい、弊社に助けを求めて来られたことがありました。翻訳者が海外の英語文献から無断で多数「英借文」して、出典を明示していなかったことが剽窃の原因ですが、これも著作権侵害に相当します。

著作権侵害の原因は?

上記の事例はいずれも、著作権侵害や契約違反などで法的に訴えられてもおかしくない不正行為・犯罪です。このような行為は、著作権を侵害した本人とその所属先がダメージを受けるだけでなく、医薬業界・翻訳業界全体にもダメージを与えて信頼を損なう恐れがあります。

このような著作権侵害の多くは「悪意」による意図的な行為ではなく、日本語でも英語でも「引用の定義」や「引用方法」などを習ったことがないために、「引用」と「剽窃」との違いや正しい引用方法などを知らないことが原因と思われます。剽窃や盗用を防ぎ、著作権侵害などで訴えられないために、論文執筆者やメディカルライター、医薬翻訳者の方には、昨年ブログでご紹介した書籍『英文ライティングと引用の作法:盗用と言われないための英文指導』(著:吉村富美子、発行:研究社、定価:2,200円)をお読みになることをお勧めします。

翻訳者も著作権侵害に要注意

翻訳者の方々は「ライティングをするわけではないから、著作権なんて関係ない」と思っていらっしゃるかもしれませんが、業務上、翻訳依頼者の「著作物」を扱っていますし、フリーランス医薬翻訳者の間でも著作権侵害は起こっていて、決して他人事ではありません。

例えば翻訳会社から提供されたMedDRA(医薬品副作用用語集)のファイルや製薬企業の日英・英日用語集などを、翻訳会社や翻訳依頼者に無断で翻訳仲間に転送して助け合っている話を時々耳にしますが、このような行為はMedDRAや製薬企業の著作権を侵害していますし、翻訳会社・翻訳依頼者との機密保持契約に抵触している可能性もあります。実際の翻訳案件を自身の翻訳サンブルに無断転用するのも、著作権侵害や機密保持契約違反に相当する恐れがあります。(翻訳依頼者は、外注先による著作侵害や機密漏えいが生じていないか監視するとともに、防止策を講じるほうが良いと思います

また、拙著シリーズや他の参考書、翻訳原稿などの文章を翻訳勉強会の配布資料やスライドなどに無断で引用して、出典を明示しないのも著作権侵害になりますし、SNSなどへの引用も、出典を明示しないと著作権侵害になります。したがって、フリーランス翻訳者の方々も著作権について基礎知識を身に付け、安易なファイル転送や著作物の転用・引用などは控えることをお勧めします。

著作権教育が必要

最後に、前述のとおり、著作権侵害の主な原因は、著作権や引用に関する「知識不足」と考えられますから、著作権を保護するために、そして引用・転用する側が剽窃を疑われないようにするために、「教育」が必要ではないかと思います。

欧米では、著作権などに関する「倫理教育」も日本より進んでいます。例えば米国メディカルライター協会(AMWA)の年次総会や地方部会では、数十年前から倫理に関するワークショップが開催されていますし、AMWAの現行のプログラムでは、倫理に関するワークショップを最低1つは受講しないと修了証を取得できない仕組みになっています。また、AMWA会員専用の掲示板では、図表や文章の引用方法や転用許諾の取得方法などに関する質問が頻繁に見られ、著作権や倫理に対する会員の意識の高さが窺われます。

欧米と日本ではライティング・翻訳などの文化的背景が異なりますが、グローバル化が進む昨今、メディカルライティングや医薬翻訳でも欧米並みの高い「倫理意識」が求められています。

実際、国内で科学論文のデータねつ造・改ざんなどが相次いで発覚しているため、研究者に倫理教育を義務付けようという動きがようやく出てきました。製薬業界でも、弊社の研修資材の著作権を侵害していたことが判明したのを契機に、毎年1回メディカルライターなどを対象に、著作権に関する社内研修を始めた企業が幾つかあります。このような教育は、組織のコンプライアンスや危機管理の観点からも必要ではないかと思います。

メディカルライティングや医薬翻訳の教育でも性善説を過信せず、著作権に関する意識も含めて基本的な倫理観を育てる努力を恒常的に行っていく必要があると感じます。また、「引用の定義」や「正しい引用方法」に関しても、メディカルライティングや翻訳の関連団体・学校などが率先して「教育」を行う必要があると思います。一方、メディカルライティングや医薬翻訳に携わる方は、ご自分のリスク管理のためにも、倫理教育の機会を待つのではなく、高い倫理意識をもって自ら積極的に学んでいく姿勢が必要ではないかと思います。

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